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「食」の体験と「空気」の関係性

フードアーティスト・諏訪綾子さんが生み出した「空気」

アーティストの諏訪綾子さんが主宰する「フードクリエイション」は、「食」をテーマにしたインスタレーションやパフォーマンスにより、さまざまな体験を創造し、特定のコンセプトを伝える活動です。コンセプチャル・ケータリングやユニークな場所で行う「ゲリラレストラン」など、日本国内だけでなく海外でも数多くのプログラムを開催してこられました。そんな諏訪さんにとって、「食」と密接な関係性にある「空気」とはどのような存在なのかをお聞きしました。

空気というものはいろいろな捉え方ができそうですが、私がうみだす食の体験もまた大きく言うと空気をつくることだと思います。フードクリエイションは物質として残るものではなく、最終的には体験した人の記憶にしか残りません。その中にあじわう体験も含まれるのですが、食べものは食べればなくなってしまいます。また、味覚だけではなく匂いや手触り、温度や風向きなど、五感で体感するものは目には見えません。ですが、そのなくなってしまう、目に見えないものこそ、記憶に深く刻まれる可能性に満ちています。ですから私にとっての「空気」とは、そのシチュエーションやストーリーであり、それを作品でつくり出そうとしていると言えるかもしれません。

富士山麓の森の中に構えたアトリエ

諏訪さんは2019年の夏、山梨県の富士山麓に森の中のアトリエを構え、現在は東京との間を往復しながら創作活動を行っています。奇しくもその生活は、コロナ禍を穏やかに過ごすことにも繋がったそうです。

都内でアトリエを探していたのですが、なかなかいい物件が見つからず、ある時、「森でもいいな」と閃いたのです。今はインターネットが繋がればどこでも仕事ができる時代ですから。森の中の物件を試しに探してみて、見つかったのがこの場所でした。翌日すぐに見学に来て即決。もともと自然の中で生まれ育っているので、いつかこういう環境でクリエイションしたいと思っていました。

ここから見渡せる範囲がすべてアトリエ敷地なのですが、そこから出なければ人に会うこともほとんどありません。その代わり、動物が横切ったり、虫と目が合ったりと、生きものはたくさんいます。その姿をみることはそんなにないですが、彼らからの視線や気配は感じます。野ウサギが跳ねていたり、鹿の落とし物もたくさんありますし、東京から戻ってくるとイノシシが掘った穴ができていたり、嗅ぎ慣れない匂いがしたり。
私がいない時の方が賑やかなのだろうなと思います。

ここで過ごすようになって何が変わったのか、まだうまく言葉にはできませんが、「私の中で大きな変化の中にいる」ことを実感しています。それは、世界の状況が一変してしまうタイミングと、森の中に拠点をつくることが、偶然にも同時だったこともあります。
自然と向き合うことを通して、結果的に自分と向き合うことになりましたし、東京では出会うことのなかった人との出会いや交流の中から学び、新たな発見がクリエイションに繋がりました。それから、森の野生の中で過ごすことで思考回路も大きく変わりました。

自然に振り回されながら過ごす「自由」

コロナ禍によって、多くのプロジェクトはストップしていましたが、森はインスピレーションに満ちていて、毎日が忙しいんですね。東京のような都市にも、もちろんインスピレーションがあるし、情報量も多いのですが、ここは全く違う種類の情報量が多く、感覚を刺激されるんです。刻一刻と変化していく光や風に感情を揺さぶられ、野生の生きものたちに正解のない問いを突き付けられる、そんな日々は、本能が目覚めていくような感覚があります。

コロナ禍の東京では、慣れない制約や制限がある中での生活を強いられますが、ここでは自然にものすごく振り回されます。山の中では天気も予報通りにはならなくて、予測していなかったことばかりで、予定していなかったことになる。想像もしていなかった展開になったりして、そうなると予感に頼るしかなく、その分「雨が降るかも」「ここは危ない」「こっちの方が面白い」といった直感が鍛えられます。決まった時間に電車が来て約束通りに人と会うなど、東京にいる時のように計画した通りには物事が進みません。森の中では、振り回されたら振り回された瞬間に乗るしかない、あとはどう美しく振り回されるか、なんです。いつのまにか忘れてしまっていた感覚ですよね。もの凄く贅沢な自由だと思います。

森と東京の間に生まれた循環

自然の中で過ごすうちに、諏訪さんは都市と森を結ぶ「循環」という新しい価値観に気づいたと話します。

森を歩いていると、間伐された木の枝葉がたくさん落ちています。東京から来た私の目にはそれがすごく美しく映りました、と同時に、もったいない、とも思いました。間伐材の幹の部分は木材や薪として使われますが、枝葉は捨てらてしまいます。そのままにして土に戻すか、量が多いと産業廃棄物として処分することもあるそうです。そこで、この美しい枝葉からタリスマン(魔除け・お守り)をつくることにしたのです。

植物にはフィトンチッド(phytoncide)という化学成分が含まれているそうなんですね。植物が刺激を受けた時に、自分自身を守るために発する殺菌成分のある揮発性物質です。森に入ると「森のいい匂い」と感じることがありますが、それがフィトンチッドの匂いなのです。人間にとってもリラックス効果があり、免疫機能を高めたり、殺菌効果があることも証明されているそうです。そのことを思い出し、フィトンチッドがたっぷり含まれた枝葉を束ねたタリスマンを、東京でステイホーム中の友人たちに贈ることにしたのです。ちょうど4月から5月頃、コロナ禍が深刻化して、消毒用のアルコールやマスクが手に入りづらかった時期でした。都市で移動や外出を制限されてストレスが溜まる生活の中に、少しでも森の気を届けることができたらと思ったのです。

そうすると今度は、東京の友人たちがお礼に森にはないワインやお菓子を送ってくれるのです。そうしていただいた贈り物を、地元の方たちが薪割りのやり方や山菜の食べ方を教えてくれたり、間伐の枝葉をいただいたり、野菜や鹿肉をくださったお礼にお渡しする。タリスマンと交換のお礼に森にないものが東京から届くから、それをまた地元の人たちにお返しするのです。まるで物々交換のような形で、お金は全然使っていないにもかかわらず、東京という都市と森の間にとてもいい循環が生まれたのです。

銀座のビルの中に森をつくる

都市と森との循環は、諏訪さんの作品の中にも現れました。それが9月末まで東京・銀座の資生堂ギャラリーで開催された「記憶の珍味 諏訪綾子展」です。2020年1月にスタートしたこの展覧会は、新型コロナウイルスの感染拡大により2月末に一時中断。8月から内容を更新し、再び開催されることとなりました。

自粛期間中、なぜこのような状況になったのか、誰もが少なからず考えたと思います。その中でもきっと、自然と人間の関係性について思いを巡らせた人は多かったのではないでしょうか。そうした中で、私なりの自然と人間の共生についての問いかけを、この展覧会を通して届けたいと考えました。

再開にあたって、資生堂ギャラリーにも森からタリスマンを運びました。ギャラリーを訪れる方たちは、マスクをしてストレスを感じながら、感染のリスクもある中でわざわざ出掛けて来てくれるのですから、森のフィトンチッドをタリスマンにしてギャラリーの中を満たし、ある意味で魔除けであり浄化する空間にしたかったのです。銀座に森をつくり、作品を体験することで、自然の力によるバリア機能を高められるようにしたいと思ったのです。

この展覧会「記憶の珍味」は、「わたし自身をあじわう体験」として、自分の記憶と結びつく匂いをひとつ選んであじわう、という体験型の作品です。当初は実際に食べてあじわう体験でしたが、再開後は感染症対策によってそれができなくなってしまいました。そこで、マスクがないとあじわえない体験に作品を変更しました。いくつかの森の匂いから自分が選んだ匂いをマスクに付けてもらう。そうすると呼吸するたびにマスクの内側に森ができあがる。ギャラリーを出て銀座の街を歩いていても、家に帰るために満員電車に乗っても、マスクをしている間は森を感じるのです。それは自分だけの記憶の中にある森。そういう意味では、私はマスクの中の空気をつくったのかもしれませんね。森の空気を運んで、銀座に、マスクの内側に、記憶の中に、森をつくり出したのです。

食と人間の関係性が変わる

コロナ禍を受けて、フードクリエイションを通して向き合ってきた「食」と人間の関係性も、今後変わるのではないかと諏訪さんは予感しています。

コロナ禍によって、それぞれの立場で気づきがあったと思います。そんな中でも「食べること」については誰もが立ち止まって考えざるを得ない状況でしたよね。なにを食べるのか、どこで食べるのか、誰と食べるのか、の価値も変化しましたし、どこで誰がつくったものなのか、それがどのように自然や社会へ影響するものなのか、ますます意識せざるを得ない世界になっていくと思います。私はこの数ヶ月間で、本当の贅沢や幸せについての価値観が大きく変わりました。友人がタリスマンのお礼にと、メーテルリンクの「青い鳥」を贈ってくれたのですが、その中に美しい答えを見つけました。

ここは山深くてスーパーやコンビニもない、ということもあるのですが、お金では買えない贅沢があります。ある日のテーブルの上には、森の清流で育った鮎と鹿肉、タケノコと山菜に、採れたての野菜、野生の果実が並んでいて、ひとつも買ったものがないことにハッとするのです。あの人が分けてくれた、あの人がつくった、お手伝いをしたお礼にいただいた、お返しを持っていったはずなのにまたいただいた…そんな豊かな循環のなかで生活することは、本当に贅沢だなと思います。山主さんから間伐した丸太を譲ってもらい、その丸太を村の方に教えてもらって薪割りして、その薪を使って、猟師さんから分けてもらった鹿肉を、森の中で焼いて食べる。レストランでシェフが絶妙な火加減で料理した鹿肉ももちろん美味しいはずですが、そうした物質的な美味しさを超える何かがあることを、自然の中で生活することで実感しています。

私自身、静かで大きな転換期にいることを強く感じます。ただ、それが何かはまだわからない。誰もが今、そういう感覚なのではないでしょうか。それでもやはりこの森と東京との二拠点活動にしたことはとてもよかったと確信しています。都市と自然の両方の視点を持ち続けることは、今の私には必要なことでした。資生堂ギャラリーの展覧会では、コロナ禍前とコロナ渦中、図らずも2つの作品を発表することになりましたが、この状況に振り回される自由をあじわい尽くしたいと思っています。今こそ自然と深く向き合い、これからの生き方に繋げていきたい。ですからコロナ禍が終息した時に、元の世界に戻るのではなく、新たな世界になることを期待しています。コロナによって多くの痛みを伴うけれど、よりよい世界へ向かうチャンスでもある。いつかコロナは敵ではなかったと思える時が来ることを信じたいのです。

http://www.foodcreation.jp

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