

ダイキンオーキッドは、1988年の第1回⼤会より沖縄から全国に春の訪れとゴルフシーズンの幕開けを告げる⼤会として開催してまいりました。こうしたご縁を基に、2019年の焼失以来、「沖縄とともに限りなき前進をしていく⼤会」として、『 オーキッドバウンティ基⾦』を通して、復興に不可⽋な個⼈・団体への⽀援を陰ながら続けてきました。
ここでは2019年の⾸⾥城⽕災による焼失から2026年の復興に向け、全国・世界から集まった、⾸⾥城復興に向けた取組みをご紹介します。
2019年⽕災の衝撃と、
その後の寄付・⽀援の広がり

⾸⾥城⽕災から1か⽉ほどたったある⽇、那覇市消防局に1通の⼿紙が届きました。それは2019年4⽉⼤規模な⽕災に⾒舞われた、パリの世界遺産であるノートルダム⼤聖堂の消⽕にあたったパリ消防局からの⾸⾥城復興を願うメッセージでした。
「国や地域を代表する遺産を失っていることを、我々は深く理解しています」と思いを寄せ、「消⽕をするために絶え間なく戦った多くの消防隊員は、多⼤な勇気と献⾝的な姿勢を⾒せてくれました」と沖縄の皆さまの献⾝的な姿を称えるものでした。
さらにその⼿紙には「琉球の歴史や沖縄復興のシンボルであった⾸⾥城正殿が崩れ落ちたことを、私たちは深く悲しんでいます」「⼼より復興を望みます」とし、「我々の気持ちを市⺠と消防局職員にお伝えください」とつづられていました。

今回の復興作業には⽡職⼈、宮⼤⼯、塗装職⼈など、さまざまな伝統⽂化に携わる若い⼈たちが多く参加しました。その中の⼀⼈が、最年少宮⼤⼯の後藤亜和さん(23歳)です。
住宅の設計⼠である⽗親のもとで、⼤⼯として2年半修⾏したのち、沖縄にいながらレベルの⾼い仕事を学べるという思いから、今回の⾸⾥城復興⼯事に参加した後藤さん。
困難な⼯事も、平成の復元でも携わっていた⼤先輩たちから技術を教わることで、彼⼥の成⻑につながったといいます。このように、若⼿の技術者が⾃らを⾼めようと奮闘し、ベテランがフォローする、その関係性が復興に関わる皆さまの⼀体感を⽣み、さらには沖縄に伝わる⼤切な伝統・⽂化の継承へとつながっています。

今回の復興活動は県⺠の皆さまを巻き込んだ⼀⼤プロジェクトになりました。
⾸⾥城⾚⽡漆喰はがしボランティアには県内外から多くの⽅が参加し、参加者数はのべ4,000⼈にのぼりました。23,000枚以上の⾚⽡の漆喰が丁寧な⼿作業できれいに処理され、⾸⾥城復興の⾚⽡に混ぜられて⽣まれ変わっています。⾸⾥城復興には、県内外の皆さまの思いが込められているのです。
「復興に少しでも役に⽴ちたい」「⾸⾥城への思いを形として残したい」という声が多く寄せられ、そういった⾸⾥城復興への思いを共有しながら、関わった皆さまの⼀体感を育みました。
⽡1枚1枚から漆喰を丁寧にはがす作業を通じて、復興への「思い」を形にし、県⺠や全国の⼈にとって⾸⾥城がかけがえのない存在だということを改めて感じる貴重な機会となりました。

平成の復元・令和の復興ともに関わってきた琉球歴史研究家・⾼良倉吉さんは、「⾸⾥城が焼失した際には、現実を受け⼊れることができませんでしたが、失われたことで、⾸⾥城が県⺠にとってどれほど⼤切な存在であるかを改めて認識することができた」といいます。
令和の復興では、平成の復元でできなかったことに新たな知⾒を加え、再建に向けて取り組んでこられました。
⾼良さんは『⾸⾥城再建は「魂の継承」である。
この島には城をもつ歴史があったことを、⾒学しただけで理解できる環境をつくること。⾸⾥城とともに琉球の歴史⽂化は⽣き続け、沖縄の歴史・⽂化・伝統をこれからも伝えていくために、それぞれの時代で努⼒している』と述べています。今回の復興を通して、「ただ元に戻す」だけではなく、平成の復元では成し遂げられなかったことにも挑戦し、「進化した⾸⾥城」「進化した沖縄」を実現するために、マイナスをプラスに変える沖縄の皆さまの熱い思いを感じることができました。